令和5年2月21日第三小法廷判決

 金沢市庁舎前広場事件の最高裁判決が出ました*1

 この件は棄却でしたが、宇賀先生がおひとり、反対意見を付されました。

 行政法理論の範囲で、あえて1ヵ所、カッコいい(笑)ところを引くとしたら、次のフレーズだと思います。

 

「…公用物や公共用物の性格にはグラデーションがあり、単純な二分法を解釈論上の道具概念として用いることには疑問がある。」

 

 といいながら。

 今回、宇賀先生は事実関係の評価や憲法的議論についても踏み込んで述べられました。今後、各地の自治体職員が似た問題状況において悩むとき、もしも逆の選択に踏み切ろうとするならば、心理的な後押しとなるのは、むしろ次のような言葉である気がします。

 

「結局、本件広場を本件集会のために使用することを不許可にした理由は、もし本件集会を許可した場合、被上告人が本件集会の内容を支持している、あるいは本件集会を行う者を利しているなどと考える市民が、被上告人の中立性に疑問を持ち、被上告人に対して抗議をしたり、被上告人に非協力的な態度をとったりして、被上告人の事務又は事業に支障が生ずる抽象的なおそれがあるということに尽きる。しかし、次のとおり、そのような理由は、「正当な理由」には当たり得ない…」

「…一般職の公務員による法の執行に政治的中立性が要請されることは当然であるが、首長や議員は、特定の政策の実現を公約して選挙運動を行い当選しているのであり、市長や市議会議員が立案して実行する政策が政治的に中立であることはあり得ない。そして、市民の中には、様々な意見を持つ者がおり、被上告人の政策に不信感を持つ者も当然存在するはずであり、被上告人に対して抗議をしたり、被上告人に協力したくないと考えたりする者もいるかもしれないが、そのように被上告人の政策に批判的な市民が存在し、実際に被上告人の政策を批判すること自体は、民主主義国家として健全な現象といえ、それを否定的にとらえるべきではない。もとより、仮に、そのような市民の中に、常軌を逸した抗議を行ったり、被上告人の事務又は事業を妨害したりする者がいれば、民事訴訟を提起したり、不退去罪、威力業務妨害罪、公務執行妨害罪等に該当するとして公訴の提起を求めたりするなどの対応をとらざるを得ないことになるが、そのような極端な場合が抽象的にあり得ることを理由として、本件広場の使用を許可せず、集会の自由を制限することは、角を矯めて牛を殺すものといわざるを得ない。」
「…市民会館のように公の施設であることが明らかな施設の使用を許可された上で行われる集会の場合であっても、被上告人が当該集会で発せられるメッセージを支援していると誤解して苦情を申し立てたり抗議をしたりする者が生ずる可能性は抽象的には存在するのであり、むしろ、壁も塀もなく屋外の道路とつながった本件広場よりも、被上告人の施設であることが明白な市民会館内の集会の方が、被上告人が支援しているという誤解が生じやすいといえなくもない。しかし、公の施設であることが明白な市民会館における使用許可については、このような理由による不許可処分が地方自治法244条2項に違反し許されないことは、泉佐野市民会館事件最高裁判決や最高裁平成5年(オ)第1285号同8年3月15日第二小法廷判決・民集50巻3号549頁(上尾市福祉会館事件判決)の趣旨に照らして明らかであろう。」